ストーリー

OPPORTUNITY

始めたきっかけ

坂井選手の両親は、共に元飛込の選手で、引退後コーチになり、神奈川ダイビングクラブを発足、そういった経緯もあり、物心ついたときにはもうすでに飛込競技と出会い、赤ちゃんの頃からプールに通う生活が始まっていました。

坂井選手は、5歳の時に初めて試合に出場し、大きい会場で自分1人しか演技しない独特の緊張感や、練習を頑張り、試合で成功させた時の嬉しさを知り、飛込の虜になりました。

JOURNEY

全国大会で優勝するまでの
道のり

怖がりだったと言う坂井選手、新しい種目を飛ぶ際よく泣いて、台の裏に隠れていることが多かったそうです。新しい種目を飛ぶ為に準備をしっかりしてから新しい種目に挑戦するそんな慎重派だった坂井選手、両親がコーチと言うこともあり、新しい種目を飛ばない日は家に帰ってもご飯が出てこなかったり、中学生になるとお弁当がなかったりと二世ならではのエピソードも!

そんな慎重派だった坂井選手ですが、コツコツと自分のペースで難易度、完成度を上げていき、小学校5年生の時に、初めて全国大会で優勝し、全国大会で表彰台の一番上に立つ喜びを知ったのはこの時でした。

WORLD

そして世界へ

日本の同じ年代では負けることは無くなった中学生時代でしたが、初めて海外の選手の演技を生で見たときには衝撃を受け、これでは、日本で勝てても海外では勝てないとそこで初めて世界で勝つための練習に切り替わりました。

練習も週6に変わり、トレーニングや、プール練習の時間が倍に増えました。

高校2年生の時にはシニアの世界大会(世界選手権)に初出場し、ジュニアとシニアのレベルの差に気付かされました。

代表の合宿や個人的に中国やアメリカへ合宿へ多く行き、世界選手権やオリンピックで勝つための鍛錬が始まります。

 
OLYMPICS 1

五輪への道 その1

小学校6年生の卒業式の時に、卒業証書をもらう際、オリンピックで金メダルを取ります。と宣言したのがオリンピックへの挑戦の始まりました。

そこから、7年後の2011年初めてオリンピックの選考会に参加しました。(飛込競技は日本でのオリンピック選考会がなく、世界選手権か、W杯で12位までの決勝に進出するとオリンピック出場できます)

OLYMPICS 2

五輪への道 その2

そこで折れず、次のオリンピックを狙うことを決意し、鍛錬を続けます。

リオデジャネイロオリンピックの選考会では、思うような演技ができなかったが、日本の選考基準をクリアし初めてオリンピックの出場権を掴ます。

東京オリンピックでは、日本人第一号でのオリンピック内定!本番では5位入賞とメダルまであと一歩のところまで駆け上がることができました。

引退も考えたが、応援してくださる方々の後押しもありパリを目指します。

SAKAISHO CUP

相模原Sakaishoカップ

坂井選手は、飛込競技の発展にも尽力しています。

飛込競技は、大会に独自でスポンサーがつくことがなく、試合数も少ない参加人数に対して会場料金が高く開催を断念している県が多く存在しています。

そんななか、相模原市の企業様のご尽力で、たくさんの会社の方にスポンサーについていただけることになり、飛込界では初となる大会を開催、オリンピック選手などが数多く参加する大会を開催することに成功しています。

オリンピアンから相模原市在住のジュニア教室に参加してくれている一般の方まで、幅広く参加してくれている大会はどこを探してもないでしょう。

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